女が非モテ男に与える救いと残酷さ
のあ先輩はともだち。あきやまえんま
無料公開されていたから4話まで見た。
主人公は、可処分時間は自分の趣味に費やしたいから人付き合いなどの面倒ごとは避けたいという省エネ思考の人畜無害で地味な男。
のあ先輩は若くて人目を引く美人で、胸が大きくスタイルが良い。
1話で、のあ先輩は彼氏に振られて傷心中、省エネ人間の主人公を飲みに誘う。その最中に、突然友達になりたいと言い、涙ながらに「だめ?」と懇願して、断りづらい雰囲気にしてなし崩し的に承諾させる。
2話では、漫画喫茶に行くことになったが、主人公の同意も得ずにペアルームを選択し、漫画を読む主人公に顔を近づけたり、突然肩に手を置いてスキンシップしたりする。その上、名前で呼んでいい?と聞き、断られても呼び続け、主人公に距離感近すぎませんか?と窘められると「ごめんねキモいよねもう絶交だよね?」と幼児のように泣く。
主人公が慰めると、じゃあ名前で呼んでいい?と聞き、なんでそんなに名前呼びに拘るんですか、と聞かれると、「だってさ、あたしだけが特別でしょ」とのたまう。
3話では通話中に誤ってビデオ通話にしてしまい、のあ先輩の裸が写ってしまう。
これは、人付き合いを面倒だからと避けていた主人公にとっては、異性と関わることの楽しさ、女性と付き合いたいという気持ちを教えてくれる救いの存在とも言える。
一方で、のあ先輩は主人公のことは「男って感じがしないから」友達になりたいと言う。
女からは嫌われるし、男とはすぐ変な雰囲気になってしまうから友達がいないと。
つまり、のあ先輩は少なくとも1話の時点では、このような接し方をされても自分に対して性的なアプローチをかけてこない男を求めているということだ。
にも関わらず、交流を始めてから立て続けに主人公が否応なしに女として意識してしまうような言動を取っている。
もちろんこの作品はフィクションだし、お互い異性として満更でもなく思っているような描写もあるから、だんだん双方の意識が変わっていって、いい塩梅に収まるんだと思う。
しかし、現実世界でもこのような構図はよく見る。
男友達ができないと嘆く女は、大体はメンヘラ気質の寂しがり屋で、男に対して性を意識させてチヤホヤされるような言動をとっているのだ。
しかも、それは無意識であることも多いが、実は薄々わかっていて、こういう言動をとってもちゃんと「友達」として自分との関係を大事にしてくれるよね?という我儘な感情と、異性相手にスキンシップをとったり甘えたりしてお互い薄々性的対象として意識し合うことで自分の性欲を満たしたいという卑しい気持ちが隠れていることが多いと思う。
そして、非モテ男がこれを真に受けて女を性的に意識してしまい、好きになってしまった場合には、「友達だと思ってたのに」という悲劇が起こりうる。
女はこういうとき、「自分は友達として接していたのに相手が勝手に女として意識した」という免罪符を使うことができる。
自分が相手を性的対象として消費したことは棚に上げて。
これに対して、「思わせぶりな態度を取りやがって」などと言っても、非モテの負け惜しみにしか聞こえない。
女は一方的に被害者になることができる。
もっとも、女からしても、男のことを性的対象として見ることができるからこそそのような振る舞いをしたのであって、結局最終的には恋愛関係に発展する可能性も多い。
そういう場合には、女の積極性やアプローチは、自分から女にアクションを起こすことが出来ない非モテ男にとってまさに救いになる。
だからまあ結局上手くいくかどうかだなぁと思った。